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夏目漱石『こころ』 の”先生”が「信頼できない語り手」である可能性

『こころ』は誰目線の語りかに注目すると10倍楽しめる

重度の活字中毒である私は、活字があれば読まずにはいられません。
子供が教科書をもらってくると、子供より先に国語の教科書を読みます。
私が子供の頃と同じ小説が掲載されているのを見つけたり、今時の話題が取り入れられていたりして、なかなか面白いものです。

高校2年の現代文の教科書には、私が学んだ教科書と同様に『山月記』『こころ』『舞姫』が掲載されていました。
『山月記』と『舞姫』は、30年ぶりに出会った懐かしい小説として再び読んでみたのですが、『こころ』に対してはそういう気になりませんでした。
『こころ』には高校生の頃からもやもやっとした感情を抱いていたのを思い出したのです。

『こころ』のあらすじ

上 先生と私

大学生の「私」は、鎌倉で「先生」に出会います。
先生は学歴はあるものの働いておらず、人との交流も避け、奥さんと静かに暮らしています。
私は先生の独特の雰囲気に惹きつけられ、先生の家をしばしば訪れるようになります。
先生は奥さんと仲睦まじく暮らしていますが、自分自身をも含めた人間全体を信用していないと言い、奥さんに対する態度にもわだかまりがあるように見受けられます。
奥さんは、先生は以前はもっと頼もしい人だったがいつの間にか変わってしまった、変わったのは学生時代に親友が変死してしまってからかもしれない、と言います。
私は卒業式の夜先生宅へご馳走に招かれ、数日後、故郷へ帰ります。

中 両親と私

帰省した私は、田舎の風習に辟易します。
腎臓病を患っている父の病状は、前回の帰省時より確実に悪くなっていました。
明治天皇の崩御を受け、父の病状はさらに重くなり、私は東京へ戻る日にちを遅らせます。
ある日、私は先生から分厚い手紙を受け取ります。
その手紙には、先生の自殺の意思が綴られていました。
私は危篤の父を残し、東京行きの汽車に飛び乗るのでした。

下 先生と遺書

私が先生から受け取った手紙には、先生の過去が綴られていました。

先生は学生時代に両親を亡くし、叔父を頼りますが、やがて叔父は自分の娘との縁談を持ちかけます。
従妹に親戚としての愛情しか感じていない先生は断ります。
やがて先生は叔父が財産を着服していたことを知ります。
従妹との縁談を持ちかけたのは、遺産問題を有利に進めるためだったのです。

この事件により先生は人を信じられなくなりました。

財産の多くを失った先生は、軍人の未亡人宅に下宿することになりました。
その家の奥さんと御嬢さんの暖かい態度は、先生の心をほぐしていきます。
しかし先生は、奥さんが、いくばくかの財産を持つ自分と御嬢さんを結婚させようとしているのではないかという疑念を抱きます。

先生の同郷の友人にKという人物がいました。
Kは自分の信じる道を進んだため、養家とも実家とも断絶してしまいます。
仕送りを止められたKはアルバイトに励みすぎ、神経症にかかってしまいます。
先生はKを心配し、奥さんの反対を押し切って下宿先にKを呼び、一緒に暮らすようになりました。

先生は奥さんと御嬢さんに、自分にしてくれたようにKに接してもらい、Kの心を癒してもらおうとしました。
しかし、御嬢さんを愛し始めていた先生は、Kと御嬢さんが親しくなるにつれ、嫉妬を覚えるようになります。

ある日、先生はKから御嬢さんへの恋心を打ち明けられました。
突然のことで動揺した先生は、自分も同じ気持ちであることを伝えることができませんでした。
全てを犠牲にしても道を求めようと生きてきたKは、「道」と「恋」の板挟みになって悩み、先生に「どう思う」と問いかけるのですが、先生は以前Kに言われた言葉を返します。

『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』

この言葉を聞いたKは呟きます。

『馬鹿だ』『僕は馬鹿だ』
『覚悟、ー覚悟ならないこともない』

Kの”覚悟”を、御嬢さんとの恋を進める覚悟と思い込んだ先生は、奥さんにお嬢さんを妻としてくださいと直談判し、許しを得ます。
しかし先生は、どうしてもKに伝えることができませんでした。

そうこうしているうちに、先生と御嬢さんが婚約したことを奥さんがKに話してしまいました。
それでも先生は、どうしてもKと話すことができません。
とにかく明日になってから、と思った翌日、Kは自殺してしまいました。

卒業後、先生は御嬢さんと結婚しますが、妻の顔を見るとKを思い出します。

妻に全てを打ち明けようと思ったこともある先生でしたが、妻の記憶を純白なものに保っておきたいという理由で、打ち明けることはしませんでした。

しかしKに対する罪悪感に苦しみ続ける先生は、世間を避け、書物や酒に溺れ、やがては死を意識するようになります。

明治天皇の崩御と乃木大将の殉死をきっかけに、先生は自殺を決意し、「私」にすべてを記した遺書を送ります。

『こころ』に感動できる感受性

30年前、高校2年生だった私が『こころ』をどのように教師から教わったかは覚えていません。
しかし、何となく『こころ』という話は、Kが失恋で自殺し、先生は自責の念に耐えきれず自殺した話という印象が残っていました。

『こころ』に感動し、書籍を買い求めて全編読むクラスメイトが数人いたと思います。
上記の感想しか持っていなかった私は、なぜ彼らが本を買ってまで読むのか、理解できませんでした。
ただ、私が読み取れない魅力を、彼らは読み取っていたことだけはわかりました。
私は彼らの感受性に嫉妬し、それが『こころ』に対するモヤモヤとして、残っていたのです。

ところが30年後、何と子供が「なんか面白そうだと思ったから」と、『こころ』を購入したではありませんか!
私の子供は、もはや親を超えてしまったようです。。。

子供は新潮文庫の『こころ』を購入したのですが、巻末の文芸評論家の江藤淳氏の解説に、次のような一節がありました。

エゴイズムと不信に悩む孤独な個人。
彼はこのような日本人を発見し、その姿を描きつづけた。

これこそが、まさに『こころ』の主題だということに、30年経ってようやく気づきました。

『こころ』の主題はエゴイズム

失恋と罪悪感。
私の『こころ』の解釈は表層的で単純なものでした。

しかし、「エゴイズム」というキーワードでもう一度読み直してみると、違った解釈が現れます。

Kはなぜ自殺したのでしょうか?

その解釈はいく通りかあります。
・失恋
・先生に裏切られたから
・全てを犠牲にして「道」を求めて生きてきたのに、「恋」をしてしまったから
・孤独感

どれか一つが原因というわけではなく、これらすべてがないまぜになった結果としての自殺でしょう。
Kの自殺の真因について考察しているサイトもいくつかありますが、私はそこまで深読みするのは無意味だと思います。
なぜなら、Kについては、先生視点でしか描かれていないからです。
先生が「信頼できない語り手」とまでは言いませんが、描かれているKは先生視点であることは注意すべき必要があります。

先生はKの自殺の理由を考え続けます。

同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。
その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でした。
Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。
中略
現実と理想の衝突、ーーそれでもまだ不十分でした。
私はしまいにKが私のようにたった一人で寂しくって仕方がなくなった結果、急に処決したのではなかろうかと疑いだしました。
中略
私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予感が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。

繰り返しますがこれは先生の手記ですから、先生から見たKが描かれています。
もしかしたら、実家義実家と断絶してまで進んだ道について、担当教官から「君には才能がない」と言われたのが自殺の原因かもしれません。
もしこのようなことが実際にあったとしても、先生が知り得ないことは手記には書いていないのです。

ともあれ、『こころ』は先生の物語です。
大切なのはKの自殺の真意ではなく、先生がKの自殺をどう思っていたか、そして先生の自殺の真意です。

先生が、「Kはたった一人で寂しくって仕方がなくなった結果、急に処決した」と考えているのなら、それは先生においては真実なのです。

そして、先生の自殺の真意も、上記の文章にはっきりと書かれています。

叔父に裏切られた先生は、人に愛想を尽かしました。
しかし、Kを裏切ったことにより、自分自身にも愛想を尽かしてしまいました。
最愛の妻にさえ心を閉ざし、そのくせ妻が自分を理解してくれないと、自分を哀れむのです。

然し腹の底では、その中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。
中略
私は寂寞でした。
何処からも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事も能くありました。

挙げ句の果てに、明治天皇が崩御すると、「明治の精神」に殉じると言って自殺の決心をします。
それまでの言動に「明治の精神」など何一つ匂わせさえしていないのに、こんな取ってつけたような理由で、妻や自分の犯した罪に向き合うことから永遠に逃げたのです。

妻に打ち明ければ許されるであろうことを知っていたにも関わらず、先生は自分の罪と向き合おうとせず、生からも逃げてしまいます。

先生は、「明治の精神に殉死」します。
この「明治の精神」についても、様々な解釈があります。

人としての罪を背負う先生は、個人主義や資本主義といった”現代人の考え”ではなく、儒教的道徳を重んじる社会に殉じるといった解釈。

養家の期待に背き道を追求したK、家ではなく個人の恋愛を取った先生。実は明治は自由と個人を尊重した時代であったが、各々の自由と個人がぶつかりあえば、敗者が生まれます。時代が進めば、個人主義の競争による勝敗は”そういうもの”として受け入れられるが、明治に生きた先生には、人を傷つけてまで手に入れる自由や個人に耐えられなかった。

こうした真逆の解釈さえ成り立ちます。

でも、実際のところ、「明治の精神」の解釈はどうでもいいのです。
これは、Kの自殺の真意と同じ理由です。

先生はKの自殺の後、十数年も、何もせず、何も償わず、誰とも心を通わせませんでした。
そうして一人で勝手に追い詰められ、自殺を決意します。

「先生と遺書」は、そんな先生が書いた遺書です。
内容は、自己欺瞞と後付けに満ちています。
「明治の精神」と先生がいかに理由をこじつけようとも、結局先生は自分のことしか考えていないのです。
これが、『こころ』はエゴイズムを描いた小説とされている理由ではないでしょうか。


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