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煉獄さんの奥義「煉獄」が炎の呼吸の”玖ノ型”でなければならない理由を考察してみた

煉獄山が9層からなっているから

※最終話までのネタバレと、ファンブックの内容を含みます。

煉獄杏寿郎初登場の時、この人は柱の中でも中心的な人物で、禰豆子が人間に戻るためのキーパーソンになるだろうと思っていました。
センターで腕組みして仁王立ちしているし、髪色も赤が入っていて、戦隊モノのレッドな感じ。

さらに、「煉獄」という苗字。
「煉獄」は、ダンテの『神曲』で存在を知っていました。
カトリックにおいて、地獄に行くほど悪いことをしていないけれど天国に行くほどではない人間が、天国に行く前に業火で魂を清めるための場所です。
つまり、天国と地獄の間に位置しているのが「煉獄」です。

さらに煉獄杏寿郎が「柱」という存在であること。
「柱」は文字通り鬼殺隊を支える柱という意味もあるのでしょうが、神様を数える単位でもあります。
古事記の時代から、日本人は神様を一柱、二柱、、、と数えてきました。
人でありながら、神に近い力を持つものなんだろうなあという印象を受けました。
元は人でありながら悪魔のような力を持ったものが鬼で、鬼を成敗するために神に近い力を持ったものが柱、という構造は、あながち間違ってはいないと思います。

そのため、煉獄杏寿郎は柱のリーダーとして、禰豆子を人間に戻す際に、地獄=鬼と天国=人間の仲立ちをするのかなと予想していました。
炭治郎の成長に大きな影響を与えた点では、当たっていなくもないのですが…

ところで、炎の呼吸は9種類あり、玖ノ型は奥義・煉獄です。
炎の呼吸は、水・雷・岩・風とともに基本の呼吸で、何百年も前から存在しています。
それなのに、なぜ、玖ノ型を奥義としてしまっているのでしょうか?

例えば水の呼吸は10種類あり、冨岡義勇は拾壱ノ型・凪を編み出しました。
雷の呼吸は6種類で、善逸は漆ノ型・火雷神を編み出しました。

実力のある隊士は、基本の型に加え、独自の型を編み出しています。
その型が後代に引き継がれれば、基本の型に加わるのでしょう。
ですが、公式ファンブックにおいて「奥義玖ノ型 煉獄」と紹介されています。
「奥義」というからには、拾以降の型は存在しないのでしょう。
そしてキリのいい拾ではなく、わざわざ玖ノ型を「奥義」としているからには、「奥義・煉獄」は「玖ノ型」でなければならない理由があるはずです。
似た感じの型に、にカナヲの「終ノ型 彼岸朱眼」がありますが、こちらは番号が振られていず、視力と引き換えの呼吸のため、基本的に生涯一回限りの型、そのため「終ノ型」と呼ばれており、状況が異なります。

先に述べたとおり、「煉獄」はカトリックにおいて地獄と天国の間に位置しています。
南半球の孤島にそびえ立つ煉獄山を、罪を清めながら登り、天国へと至るのです。
煉獄山は、第一の丘、第二の丘があり、ペテロの門をくぐるとさらに第一層から第七層まであるそうです。
つまり、カトリックの「煉獄」の区域の数と同じ数だけ炎の型があるという、裏設定ではないでしょうか。

カトリックにおける「煉獄」は、人間の魂を「業火」によって浄化するそうです。
鬼に堕ちた人間を、炎で滅する。
煉獄杏寿郎にふさわしい姓ですね。
鬼は地獄に落ちるが、罪を償えば人間に転生できる…?
ここについては、後日「宇髄さんが転生できた理由」で考察します。

煉獄杏寿郎という名前も、考えてみればすごい名前です。
まず、「杏」。
杏の種の中の仁(さね)と呼ばれる部分は、「杏仁」という漢方です。
杏仁豆腐の「杏仁」ですね。
中国では名医の尊称として「杏林(キョウリン)」という言葉があるそうです。
「杏」は医学と結びつきの深い言葉です。
「寿」は「命が長いこと」。
「郎」は「男性の美称」です。
つまり「煉獄杏寿郎」は、「健康で長生きするように」という願いを込めてつけられた名前なのです。

「杏寿郎」という名前に込められたそれ以上の意味を「煉獄杏寿郎と猗窩座 名前から読み解く対比性と類似性」で考察しています。

一方、煉獄杏寿郎を死に至らしめた猗窩座。
ピクシブ百科事典の「猗窩座」の由来の考察を読むと、涙を禁じえません。

猗窩座の意味
猗:いくつか意味はあるが、元の名前からして「去勢された犬」。延いては本来邪悪なのものを払う役割がある狛犬が、その働きをせず鬼側についてしまった情けなさの揶揄と思われる(野犬じみてた彼が大人しくなっていたこともあるかも)。
窩:こちらは「あな」あるいは「あなぐら」か「すみか」、「(後ろ暗い)物を隠す」だが、狛犬や家を守れなかったエピソードからするなら「すみか」の意味合いが強いと思われる。
座:「座る」動作の他、「一箇所で動かない様子」等も表す。

日本語的にそのまま繋げると
「大人しくなった犬はすみかに座す」=「罪人狛治は更正して家族を得た」
邪推を重ねて
「玉無しの狛犬はすみかにて(邪悪に)働かず」=「役立たずの狛犬」

そう、あのタイトル、彼の人生がそのまま「猗窩座」の意味と思われる。

ピクシブ百科事典「狛治」

最愛の恋雪との祝言を目前に、絶望のどん底に突き落とされ、鬼舞辻無惨によって鬼にされた狛治。
公式ファンブック『鬼殺隊見聞録』p.100の大正コソコソ噂話では、「夢幻城にいる時は基本的に無口で、鬼殺隊士を前にすると饒舌になるのは、人間が好きだからだと思います」と書かれています。

猗窩座(狛治)も、煉獄杏寿郎も、鬼滅の刃のキャラクターの中で、最も人間を愛しているキャラでしょう。
煉獄さんは博愛主義で、特定の人をより深く愛すのは狛治の方という印象です。
価値基準が違うにも関わらず、根本が最も近い二人を戦わせるとは。。。
ワニ先生、エグいです。
(炭治郎も人間を愛しているキャラクターですが、どちらかというと「人間を信頼している」のかなあという印象です)


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