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『ツナグ』死んでしまったあの人に、何を伝える?

生きているうちに、面倒くさがらずに、照れずに、想いを伝えておこう

一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者(ツナグ)」。
ツナグの仲介のもと再会した生者と死者。
それぞれの想いを抱えた一夜の邂逅は、彼らに何をもたらすのだろうか。

『ツナグ』裏表紙あらすじより一部抜粋

死者に会えたり、過去に戻って今は会えない人に会う系の話は、ちょっと苦手です。
感動して泣けるんですが、心の奥では「とはいうもののなあ…」と、どうしても思ってしまうのです。

こういった話では、死者や過去の人物に会うには条件があり、誰でもおいそれと会うわけにはいきません。
当然ですよね。
そして、そうした障害を乗り越えてでも会いたいと思うからには、それなりの強い気持ちや理由が必要です。

そうした「強い気持ちや理由」は、大きく分けて次の3つでしょう。
1.愛する人にもう一度会いたい。
2.愛する人の誤解を解きたい。
3.謝りたい。

1は、言うまでもないでしょう。
生き別れ、死に別れた人に、せめてもう一目だけでも会えたら。
自然な感情です。
しかし、現実には会えないからこそ、人は自分の気持ちになんとか折り合いをつけ、生きていくのです。
せっかく立ち直ってきたというのに、また会ってしまったら。
会った人は再び離別の苦しみを一から体験し直さなければなりません。
それは辛すぎる。
人によっては、今度こそ本当に立ち直れなくなるかもしれません。

2の「誤解を解く」は、会いにいく人は「真実を知らない」わけです。
それをわざわざ伝えにいって、どうなるのでしょう。

「本当は愛していた」
死者に会ってまで解きたい誤解の筆頭は、これでしょう。
でも、会いに行かれた人にとっては、今更それを言われても、だから何?と思わないでしょうか?

「本当はずっと愛していた」「だから何?」
今さらそんなことを言われても、誤解に至るまでの言動、誤解を解かずに過ごした時間は戻りません。
3の「謝りたい」にも通じますが、今さら誤解を解こうとされても、言う方の自己満足やエゴのような気がします。

3の「謝りたい」、は、自己満足の極致でしょう。
これから関係性を構築し続けている相手ならまだしも、もはや関係を築けない相手に謝っても、ただの自己満足ですよね。
特に謝罪する内容が、相手も言われるまで知らなかったことに関しては、自分の重荷を相手に押し付ける行為に等しいわけです。

そして「謝りたい」、に関するもう一つの懸念。
「謝りたい」と思っているということは、相手に真実を言わない関係を続けていたということ。
せっかく会いに行き、謝罪しようとしても、いざとなったら勇気が出なかったり、相手が知らないならこの時間をやり過ごせば相手も傷つかないし、と、真実を語らずうやむやにしやしないかということ。

『ツナグ』が良かったのは、こうした問題に正面から立ち向かっていたことです。
特に3話目の『親友の心得』が良かった!

以下かなり核心的なネタバレを含むので未読・未見の方はご注意下さい。

主人公の嵐は、親友の御園の死の原因が自分ではないかと思い悩み、御園に会いに生きます。
御園は坂を自転車で降りる途中で止まれなくなり、大通りに飛び出し、車にはねられ命を落とします。
御園と仲違いをしていた嵐は、御園の死の前日、坂の途中の水道の蛇口をひねり、水を流しました。
もしかしたら翌朝水が凍って、御園の自転車が滑るかもしれないと思いながら。
その時、誰かの視線を感じた嵐は、もしかして御園が見ていたのでは?と思います。
「使者」を通じて御園と再会した嵐は、御園が、嵐の行為を見ていなかったことを知ります。
御園に自分の罪を告白することは自分が楽になるだけの行為だ、と思った嵐は、御園には打ち明けずに分かれます。
しかし、「使者」から御園の伝言を聞いた嵐は、愕然とします。
御園は知っていたのだーー

生者が死者に会える機会は一回だけ。そして死者が生者に会える機会も一回だけ。
そのたった一回のチャンスを御園は嵐のために使ってくれたのに、自分はその好意を踏みにじった。
悲痛な嵐の慟哭。

御園が本当はどういう気持ちで伝言を託したのか、はっきりと示されていないのもいいですね。
嵐に復讐したかったのかもしれない。
逆に、嵐の罪の意識を取り除いてあげたかったのかもしれない。
8割がた前者だと思うのですが、後者の可能性もある。
そのさじ加減が絶妙です。
そして仮に復讐のためだったとしても、「いつかまた、会おうね」という御園の言葉の真意もまた、考察のしがいがあります。

最終話でちらりと語られる嵐の後日談も、良かったです。
演劇部の活動に力を入れていた嵐は、あの出来事の後も演劇を続け、御園が演じるはずだった役を見事に演じ切ります。
後悔や業を胸に、生きている嵐。
嵐が女優になるならば、その苦しい体験が芸の肥やしになるでしょうし、女優にならなかったとしても、後悔を抱え、傷口から血を流しつつも、人生を生き切る強さを感じました。


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