林修著『受験必要論』高校生の頃にもっと勉強しておけばよかった
本気でやっても成績が上がらない理由は、単純に量不足
進学校の生徒は、外部の生徒から見るとびっくりするくらいの勉強をしている。
一方、周囲がそれほど勉強していないような高校では、自分はものすごく勉強しているつもりでも、実際は量が全然足りていないことが非常に多い。
林先生はそう語っています。
受験生だった頃の自分自身と、高校生の子供の勉強の様子を見ていると、本当にそう思います。
私は地方の落ち目の進学校に通っており、自分では勉強しているつもりだったのですが、今振り返ってみると全然足りていませんでした。
そのため、3年生の秋からずるずると成績が下がり、ランクの低い学部に変え、それでも落ちて、最終的に補欠で合格しました。
負けたことがあるということがいつか大きな財産になる
多くの受験生を見てきた林先生は、「受験は辛くないと危険だ」と書いています。
大学入試を楽に突破してしまうと、人生を真剣に考えなくなる、あるいはなめてしまう危険性があるからです。
中略
つらいと感じるのは、自分の不得意なこと、できないことに向き合っている証拠でもあります。
そして、そういうことを1つずつ乗り越えて結果を出していくという経験自体に価値があると思うんです。
「負けたことがあるということがいつか大きな財産になる」は、スラムダンクの名言の一つです。
受験勉強は小さな負けの連続です。
最初は分からない問題がたくさんあります。
それを1つ1つ潰していく。暗記したり、勉強法を工夫してみたり、効率を考えてみたり…
そうした試行錯誤、PDCAが今後の人生に大きく役立つであろうことは、受験勉強で易きに流れて、あとで苦労した私が、非常に実感していることです。
浪人すべきか?
林先生は、受験で結果を残せなかった生徒に、厳しく接するそうです。
東大にすら相当入りやすくなっている今、不合格の原因のほぼ全てが、勉強不足につきます。
大学側が『出直してきなさい』と言っているのですから、ハイと素直に受け止めてもう1年頑張るか、少しランクを下げて、大学生活をスタートさせるかのどちらかです。
そして、林先生は浪人にはあまり賛成していません。
浪人すると、ライバルに1年出遅れるだけでなく、一番給料の多い1年を失ってしまうから、と。
東大法学部出身らしく、林先生の言う「ライバル」は上下関係の厳しい官僚を想定しているので、それ以外ではあまりピンとこないですし、今は定年前に役職定年を設定している企業が多いので、59歳の1年が最も給料が多いかどうかについては異論もあろうかと思いますが、次の言葉には納得しました。
会社だって、残りが5年の人と7年の人とではチャンスの与え方も変わってくるでしょう。
終身雇用制が崩れてきている今、一つの会社で勤め上げる人は少ないでしょうが、それだからこそ、早く社会に出て、どんどんキャリアアップすると言う戦略も大事だと思います。
私が高校生の頃は浪人する人も多かったですが、今は大学の数が増えたことや、経済的な事情で浪人が減っているようですね。
学歴も、以前のような神通力を失ってきています。
最近も知人と話していたのですが、何のために「いい大学」を目指すかといえば、「いい会社」に入社できる可能性を上げるためですよね。
ですが、大手の会社では出身大学が偏るのを防ぐため、大学ごとに採用人数を決めているところもあります。
ですので、東大卒で非常に優秀な人が落とされ、地方国立大卒のそこそこの人が採用される、と言う事例もあります。
偏差値の非常に高い大学を出ても、就職先が自分に合わなかったり、なぜこんな会社に?という先に就職している人もいます。
最終的に就職するために大学に入ることを考えると、浪人してまで偏差値の高い大学を目指すのは、リスクが大きいと思います。
※「いい会社」の定義は個人によって異なると思います。大会社=いい会社とは思っていません。
ベンチャーでは学歴は不要と言う意見もあると思いますが、ベンチャーであっても学歴が邪魔になると言うことはないでしょう。
むしろベンチャーほど大学での人脈が役にたつと思いますし、「いい大学」ほどその人脈が良質であると思います。
個人的には、大学のブランドよりも、どの分野を学ぶかの方が、AI時代を生き抜くためには大切なように思います。
私自身は学力不足で受験する学部を変えました。
しかし、もともと入りたかった学部はその学部の特性的に就職先がかなり限られ、研究職につけなかった人はかなり就職先に妥協を強いられています。
ランクを落として入学した学部は、いわゆる「つぶしの効く学部」だったため、就職氷河期にも関わらず、就職にはそれほど苦労しませんでした。
受験勉強をする目的
林先生は『創造』と『解決』の2つの能力を高めるために受験勉強があると語っています。
特に理系は新しいものを創る『創造』が、文系は社会で起きている問題を『解決』する力が求められている。
社会に出ると、そもそも答えがあるかどうかさえ分からない『問題』を解かなければならないが、受験という答えのある問題を解く練習をする中で、答えのない問題を解ける基礎ができる部分もある、と説いています。
こういうのって、受験をくぐり抜けて大人になってから初めて分かるんですよね。
私が高校生当時も、こういう言葉をかけられたことがあるような記憶があるのですが、当事者には届かない。
「もっと勉強しておけばよかった」
大人になってから後悔したことベスト5に入るほどのあるあるですが、この言葉も当事者には届かない。
もどかしいですね。
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