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『かの子繚乱』岡本太郎の一族は全員芸術に人生を捧げていた

アートな人は全てを身の肥やしにする

母と雑談していた時、ふと瀬戸内寂聴さんの話題になりました。
母が高校生の頃、当時「瀬戸内晴美」だった寂聴さんが、高校主催の講演会に来たそうです。
全く「瀬戸内晴美」を知らない母でしたが、講演を聞いて「これはすごい人だ」と思ったとか。
当時の寂聴さんは「子宮作家」のレッテルを貼られて文壇から干された後、『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立したばかりの頃。
上昇気流に乗っていた作家とはいえ、女子高がよくぞ英断したと思います。

寂聴さんの本は、あおぞら説法や悩み相談系好きで何冊も読んでいましたが、そういえば小説は源氏物語以外読んだことはありませんでした。
そこで本屋に行き、寂聴さんの本で一番厚かった本書を購入しました。
文庫本628ページの大作です。

『かの子繚乱』の「かの子」とは、「芸術は爆発だ」で有名な岡本太郎の母親です。
名前はなんとなく聞いたことはある程度の認識の方でした。

岡本かの子は、岡本太郎の母であり、日本の4コマ漫画の元祖の岡本一平の妻。
最初は歌人として、やがて仏教研究家として名を馳せ、晩年の数年間で小説家として花開き、尚数年生きていれば鴎外、漱石にも並ぶ文豪の地位を占めたであろうと川端康成などに言わしめたほどの才能の持ち主。
しかし私生活では、夫の了解のもと、愛人二人を同居させ、そのトラウマで息子太郎は生涯結婚を忌避し、事実上の妻の岡本敏子さんを養女という形で家族に迎え入れたそうです。

岡本かの子の私生活の波乱万丈さ、瀬戸内寂聴さんに通じるところがあるように思えてしまいます。
寂聴さんも、だから彼女を題材に選んだのかもしれません。

それにしても…
芸術家という人たちは、エネルギッシュですね。
周りの人たちのパワーや人生さえも吸い取ってアートに昇華させているというか…
行動も自分の感性に従っていて、迷いがありません。

親戚に、趣味で絵を描いている人がいます。
個展を開いたこともあるのですが、かといってそれで生計を立てているわけでもありません。
岡本一家や寂聴さんに比べるとスケールは格段に小さいのですが、『かの子繚乱』を読んでいて、その親戚と通じるところを感じました。
時々驚くような思い切ったことをしたり、アートについてはいつも一本芯が通っていたり。

最初は岡本かの子という人に好感を持てなかったのですが、桁外れのパワーに圧倒され、読後はかの子の小説が読みたくなり、青空文庫でいくつか読んでみて、驚きました。
こんな繊細な小説を、彼女が書いたのかと。
特に名作と名高い『老技抄』『鮨』が心に沁みました。

かの子の作品も、デビュー作というべき『鶴は病みき』、代表作の『母子叙情』は文章が過剰で読みにくいのですが、『老技抄』『鮨』は文章が自然で読みやすく、読後に余韻の残る素晴らしい小説でした。

『鮨』は、私が高校生の頃、問題集か模試で出題された覚えがあります。
食が異常に細い息子を心配した母親が、お寿司やさんの真似をして寿司を握り、息子は最初は怖々、やがて夢中になって寿司を食べるのですが、その情景が微笑ましく、とても美味しそうで、30年たった今でも覚えています。
小説全体を読んでみたいと思っていたのですが、まさかこんなきっかけで出会えるなんて!

私は基本的に作品が全てであり、小説家がどのような人物であるかはあまり興味がなく、逆に知らない方がいいとも考えているのですが、岡本かの子に関しては、『かの子繚乱』を読んでから小説を読んで本当に良かった。
かの子の作品を年代順に読み、文章が洗練されていく様子を感じられて良かった。
あんな激しい人から、こんな余韻のある小説が生まれるなんて、岡本かの子の激しさも、悲しみも、苦しさも、寂聴さんの筆を通して追体験してから読めて本当に良かったと思います。


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