『いなくなれ、群青』ネタバレと考察(のようなもの)
「欠点」達の逆襲
男子高校生の七草は、8月のある日、気づくと「階段島」の海岸に立っていて、4日間の記憶を失っていました。
階段島は「捨てられた人たちの島」であると言われていますが、島で暮らしている人たちは自分がなぜ、どういう経緯でこの島に来たかを知りません。
さらに、島は「魔女」によって管理されているとされていました。
七草はこの不思議な状況を受け入れ、階段島の生活に馴染みます。
11月のある日、七草は海岸で真辺由宇という女子高生と再会します。
真辺由宇は七草の幼馴染ですが、中学2年生の時に転校していった少女です。
七草は彼女との再会に、ひどく動揺します。
彼女とだけは再開したくなかったのに。
真辺由宇との再開で、七草の安定した生活は終わりを告げます。
連続落書き事件。
小学生以下は存在しない階段島に現れた、小学校低学年の大地。
謎を解こうと奮闘する真辺由宇と、何としても真辺由宇を島から出そうとする七草の物語が始まります。
あらすじと考察(のようなもの)(ネタバレ注意)
階段島にいる人たちは、「自分自身」に捨てられた人たちでした。
成長する上で改善されるべき欠点を魔女に託し、切り捨てた「欠点」が人格を持ち、階段島で生活していたのです。
捨てられた人たちは決して成長できず、外の世界と関わることもできず、ただただ時を過ごしています。
島から出るには、「本体」によって見つけてもらうしかありません。
ラストで七草と真辺は、それぞれ自分の本体と話します。
七草と真辺は、同じ理由で自分の「欠点」を捨て去りました。
そのきっかけは、再会。
七草は、真辺由宇の理想主義を『綺麗なまま、純粋なまま、わずかな欠けも歪みもなく保ち』たいと思っていました。
そのため、別れた時と同じ理想主義的な真辺由宇が階段島に現れたことに、怒りを覚えました。
なぜならそれは、真辺由宇の本体が理想主義を捨てたことを意味するから。
しかも、真辺は3ヶ月間の記憶を失っていたということは、七草とほぼ同時期に自分自身の一部を捨てたということ。
さらに真辺は、七草と同じ高校の制服を着ていました。
つまり、七草と真辺は現実世界で再会し、そのためにそれぞれが自分の一部を捨てようと決心したということなのです。
七草は真辺と再会したことにより悲観主義な自分を捨て、真辺由宇は七草と再会したから理想主義な自分を捨てました。
七草は真辺の理想主義を愛し、そのままの状態で保ちたいと強く思っていました。
真辺由宇も、同様に七草が自分を見捨てなかったことを大切に思っていました。
もともと惹かれ合っていた二人が再会し、自分の欠点を捨てる。
それは人間としての成長を意味します。
が、捨てられた方の人格は?というのが本書のテーマかもしれませんが、私は本体たちの方がちょっと心配です。
自分の欠点だと思っている人格。
この二人の場合、それこそがお互いに相手の一番愛しい箇所ではないでしょうか?
「階段島」はシリーズだそうですのでこの話は続きますが、欠点をなくした本体同士が仮に付き合うことになっても、最も魅力を感じている部分を失った相手とは長続きしそうには思えません。
それに、欠点があるから人間は魅力があると思うのですよね。
わかりやすいのが真辺由宇の性別を男にした場合。
中学生の頃は理想主義に燃えていたのに、成長とともに理想主義を捨て去ってしまった男子って、身近にいませんか?
「◯◯君って、中学生の頃って妙に熱くてウザかったけど、大人になったらなーんか小さくまとまっちゃったよねー」と、同窓会で言われている男性の姿が目に浮かびます。
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