『しまなみ誰そ彼』LGBTを「自分ごと」として捉えられるようになるマンガ
LGBTの家族も友人もいないという意味
主人公のたすくは男子高校生です。
スマホの観覧履歴に動画が残っていたことで、周囲からホモだとからかわれます。
「きもいわ、そんなの。」と慌ててゲイを貶める発言をしますが、そのことに自ら傷つきます。
それでもまだ級友たちの疑いを晴らすことができたか不安で、思い余って展望台から飛び降りることを考えたとき、反対側の丘から飛び降りた人がいました。
飛び降りたはずなのに飛び降りていない謎めいた「誰かさん」に引き寄せられ、自分を「普通とは違う」と感じる人々が集う「談話室」に、たすくは辿り着きます。
しまなみ誰そ彼
たすくは自分を守るため「ありえない」「キモい」といった、自分が言われたら一番傷つく言葉を自分で口にし、そのことに深く傷つきます。
自分がゲイであることについて口をつぐんでいればいいという思いと、「でもそれは本当に正しいことだろうか?」という思いが交錯します。
「誰かさん」に導かれるように訪れた「談話室」では、自分を「普通とは違う」と思う人々が集い、当たり前のように自分らしく振舞っています。
自分らしく振舞う彼らは魅力的で、たすくは少しずつ自分を受け入れられるようになっていきます。
しかしそんな彼らも、談話室の外では苦悩します。
親に知られたら失望されるだろうか、友達に聞かれたら孤独になってしまうだろうか、自分はおかしいのだろうか。
無遠慮に踏み込んでくる人もいて、翻弄もされます。
作者の鎌谷悠希自身も、自分がXジェンダー(男でも女でもない存在)だと公言しています。
『しまなみ誰そ彼』は、そんな作者自身も直面した問題を題材にしているだけあり、登場人物がとても身近に感じ、登場人物に感情移入することによって今までどこか他人事であった問題を自分ごととして捉えなおさせてくれます。
私とLGBT
私は今までLGBTの人と、関わったことがありません。
日本人の8%-10%前後いるとも言われているので、同級生に数人はいたはずなのですが、当時の同級生の様子を思い出してみても、全く分かりません。
当時は今ほど理解が進んでいませんでしたし、特に私が育った地域はうんざりするほど保守的な土地柄だったので、必死に隠していたのでしょう。
ここ10年ほどで、「あ、この人もしかして」と思うことが出てきました。
「隠さなければならない」という圧力が少しは緩んできたのかもしれません。
もちろんその人たちが本当にLGBTの方なのかは分からないので、私の思い違いかもしれませんが。
「もしかしたらそうなのかな」と思う事は、ひょっとしたら失礼なことなのかもしれませんが、「あれ、あの人ちょっと太った?」とか「しばらくぶりに見たら髪が薄くなってきたね。遺伝だね」と思う事と同じように、口に出さなければいいのかなとも思います。
こうした問題に対しては当事者の方がどのように感じているのか本当に分からないので、『しまなみ黄昏』のように、当事者の方が発信してくださると、「ああ、そうなのか」と知ることができ、勉強になります。
身近にいるはずなのに見えない。
それこそが一番の問題だと思います。
『しまなみ黄昏』はLGBTのお話ですが、彼らは彼らのコミュニティーに集まっており、一般の人(この言い方も失礼?)との関わりがあまり描かれていません。
いつか、LGBTの人も、マンガの一キャラクターの特性として普通に描かれる時が来たら、ようやく差別がなくなったと言われるのかもしれません。
私の周りではまだまだですが、アイドルでLGBTをカミングアウトされた方って、意外と多いですよね。
AKB48およびSTU48の岡田奈々や、でんぱ組.incの元メンバーの最上もがは自身がバイセクシャルであると言っていますし、メンバー全員がセクシュアルマイノリティの「二丁目の魁カミングアウト」は、ゲイのアイドルグループです。
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