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『恐怖の構造』ピエロや日本人形はなぜ怖い?を考察

本当に怖いのは、著者の平山夢明さんかも

怖い話は苦手です。
読みたい気持ちはあるのですが、読んでしまった日に限って夜中にトイレに起きてしまったり、暗い道などでついその話を思い出したりして怖くなってしまうからです。
とはいえ、怖いもの見たさでつい読んでしまうんですけどね。

怖い映画はもっと苦手です。
サスペンスなどは平気なのですが、ホラーとか、パニック映画がとにかく苦手。
急におどかされるのが嫌なのと、グロテスクな描写が嫌いだからです。

本書は、ホラー小説の中でもグロテスクな描写と、後味の悪い結末に定評のある平山夢明さんが、『エクソシスト』や『サイコ』などホラーの名作を例に取りながら、『恐怖の構造』を明らかにする一冊です。
人間を恐怖に陥れる原理とは何か、優れたホラー小説、映画はなぜ怖いのか、そして人はなぜホラーを欲するのかを解説しているのですが…

平山さんの意見にはどうも賛成できません。

ホラー好きな人間と、それ以外

ホラーが好きな人間と、嫌いな人間がいますが、その違いは何か?という問いに対して、平山さんは「ホラーが好きな人間は、怖い本や恐ろしい映画によって人生を救われた人間が多いようだ」と言います。
現実に絶望した時、過剰なほど悲惨な人間を目撃すると、胸のつかえがちょっと楽になった経験がある人が、ホラー好きになるのだと。

そうでしょうか?
これはもう、生まれ持っての好き嫌いなような気がします。
絶望しているときに、救いようのない悲惨な話や映像を見ても、さらに落ち込むことはあっても楽になることはないように思えますし、ホラー好きな人がみんながみんなそんな体験があるとも思えません。

平山さんの幼少期は、突然一升瓶で殴りかかってくるおじさんとか、「男のパンチを見せてやる!」と樹木を殴りつけながら拳を血塗れにしているおじさんが大勢いるような環境で育ったそうです。

5~6歳の頃、「神様なんていないと証明しなくちゃ」と思い立ち、小さなお稲荷さんの榊の葉っぱをむしり、お供え用の皿を割り、祠へ立小便をしたとか。
結果見事に罰が当たるのですが、そもそもそんなことを考えて、そんな行為をするという時点でとても信じられません。

そのほかにも妹のリカちゃん人形の顔を燃やしたり、友人をわざとバッドトリップさせたりとか、とにかくとんでもないことをするエピソードがてんこ盛りだったり、他人の不幸を嬉しそうに語っていたりと、ホラー小説を書く人は根本から考え方、世の中の捉え方が違うかな、と感じました。

恐怖よりも不安がコワい

平山さんは、恐怖よりも不安の方が怖いと言います。
「ガンが見つかりました」と言われ、ショックを受けたとして、このショックは「恐怖」だけれど、原因がはっきりしているので「克服するにはどうしたらいいだろうか」と考えるでしょう、と例え話をします。
さらに、「具合が悪くあちこちの病院に罹ってみたが、原因不明だった」という場合は、恐怖する対象が曖昧な状態であり、これを「不安」と呼ぶと言います。
恐怖は恐れる対象がはっきりしているため、ある程度は対処可能である。
反面、不安は恐怖の対象が確定していないので、24時間365日いつでも漠然と何かに怯えている状態に陥り、人間を疲弊させると解説します。

なるほど、とも思いますし、そうだろうか?とも思います。
ガンと宣告されて、皆が皆、「克服」に気持ちが向かうでしょうか?
末期で、余命宣告までされたら、「ガンの克服」どころではないのではないでしょうか?
「死の恐怖」とも言いますしね。

また、例えば私は女性ですが、夜人気のない公園に一人でいると、恐怖を感じます。
恐れる対象は「悪意を持った男性」ですが、そういう人間がその場にいるかどうかは分からないので、そういった意味では「恐怖する対象が曖昧な状態」です。
ですが、感情としては「不安」よりは明らかに「恐怖」です。
男性には分からない心理でしょうね。

そのほかの例としては、「恐怖政治」というけれど「不安政治」とは言いません。

平山さんは、「最悪の場合死ぬだけだから」とも書いていて、職業柄か生まれつきか、「恐怖」を狭く捉えすぎているように思えます。

『ゴッドファーザー』の恐怖

作家さんの見方は違うなあと思ったのは、「第3章 なぜ恐怖はエンタメになりうるのか」です。

平山さんはゴッドファーザーを恐怖映画だと思っているそうです。
主人公のアル・パチーノ演じるマイケルは、家業のマフィアを嫌い、まっとうな道に進みたいと願っている健全な青年でした。
しかし、「家族のため、ファミリーのため」マフィアの一員となり、敵対するマフィアを殺していき、次第に目から感情が消えていきます。
私も学生の頃ゴッドファーザーを見ましたが、3部作を一気に見たため非常に疲れてしまい、内容はほとんど残っていません。
あれはもったいないことをしたと、今でも思います。

ホラー作家だけあり、ホラー映画の解説も面白いです。
『エクソシスト』のフリードキン監督の常軌を逸した行動、ヒッチコックの心理と作風の変化、『羊たちの沈黙』で見る変態と狂人の違い。

その流れの、「第4章 ホラー小説を解読する」も非常に興味深い内容でした。
まず、「ホラーの定義」。
とにかく恐ければホラーかと思っていましたが、違うようですね。
ホラーとは、「主人公が生き残るのか、それとも死んでしまうのか」がゴールであるのに対し、サスペンスは「自分を窮地に陥らせるものの正体を解明しつつ、自分の望む日常へ戻ること」がゴールだそうです。
その結果、サスペンスはハッピーエンドがあり得るけれど、ホラーは自分が生き残っても、周囲の状況は不安が残ったままという「各論ではハッピーエンドでも総論はバッドエンド」が定番だと言います。

なるほど。
『エクソシスト』の結末が、ヒロインに取り憑いた異教の神を神父たちが追い出すところで終わったのはホラーだからであって、その後異教の神を倒しに行くというストーリーになると、そのジャンルはアクションになってしまうという思考実験や、エイリアン1はゴシック・ホラーだったが、2でアクションになった、という解説には唸りました。

そういえば、小説『リング』もシリーズが進むにつれてジャンルが変わりましたよね。
『リング』はホラーでしたが、続編『らせん』はミステリ、さらに『ループ』はSFと変化しました。
貞子の印象も変わってしまうので、貞子ファンは『リング』で読むのをやめておいた方が良いシリーズです。


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雑学

Posted by 一行書評