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鬼滅の刃の根底を流れるテーマを考えてみた

無慈悲で理不尽な世の中だけれど、歩みを止めず、人の想いを繋いでいこう

鬼滅の刃の登場人物たちは、様々な理不尽に会います。
鬼に無残に殺される人間たち。
一方、悲しい過去を持っている鬼もたくさんいました。
悲しみにくれ、心が折れているときに無惨に会い、救いを求めるかのように鬼になった人もいます。
一方、鬼殺隊の人たちの多くも、鬼に家族や大切な人を殺されています。
彼らも一歩間違えば鬼になっていたかもしれません。

心が砕かれ、打ちひしがれているときに、鬼殺隊に会うか、無惨に会うか。
それが彼らの運命を分けました。

登場人物の中で、理不尽を最も体現したのは、主人公の炭治郎でしょう。
物語の冒頭で炭治郎は、鬼になった妹の禰豆子を人間に戻すと誓います。
誓いは果たされましたが、代償として、炭治郎は25歳までしか生きられない身体になってしまいます。

炭治郎は痣持ちの家系なので、縁壱のように25歳を超えても生きられるのではないかという意見もありますが、私は、炭治郎は短命だったと考えます。
理由は二つ。

1つは、日記をつけたり、多くの人と文通をしたりするほど筆まめの炭治郎が手記を残さず、手記を書いたのは善逸だったこと。
炭治郎には、手記を書く時間の余裕がなかったのでしょう。

2つ目は、現代編で登場した子孫の続柄です。
炭治郎の子孫の炭彦は、おばあちゃんから鬼の話を聞きます。
おばあちゃんは、曾々おじいちゃんと曾々おばあちゃんがみんなと頑張って鬼を倒してくれた、と話します。
つまり、炭彦は炭治郎からみて孫の孫である玄孫、4代目なのです。

一方、善逸の子孫の善照は物置で、ひいおじいちゃんの書いた手記を読んでいます。
善照は善逸からみて孫の子供、つまり3代目です。
炭彦は15歳、善照は17歳。
二人はほぼ同世代なのに、続柄が一世代違っています。
炭治郎は25歳で死ぬことがわかっていたから、本編終了後早い時期にカナヲと結婚し子をもうけ、善逸と禰豆子はある程度落ち着いてから結婚したのではないでしょうか。

鬼滅の刃という物語は、炭治郎と禰豆子のどちらの寿命を全うさせるか選ぶ話のようにも捉えられます。

もともと吾峠先生自身も、「人生は理不尽である」という考えが根本にある方と見受けられます。
5巻の袖の作者コメントで、このように書かれています。

人生とは基本的に努力をしても報われません。
報われた時は奇跡が起きているんだと思います。

ですが、そんな世界だからこそ、「歩みを止めず、人の想いを繋いでいこう」と吾峠先生は訴えかけているようにも思います。
煉獄さんとお館様の次の言葉が、物語のテーマを表しているのではないでしょうか。

己の弱さや不甲斐なさにどれだけうちのめされようと
心を燃やせ
歯を喰いしばって前を向け

君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない
共に寄り添って悲しんではくれない

鬼滅の刃 8巻 66話『黎明に散る』

私は永遠が何か…知っている
永遠というのは人の想いだ
人の想いこそが永遠であり不滅なんだよ

鬼滅の刃 16巻 137話『不滅』


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